車中泊の歩き旅

60代自由業。お金はなくても、時間と体力がある今こそ青春。

四国遍路22日目(平田駅→延光寺→観自在寺)

’23年10月26日(木)・22日目

約28Km、42,789歩

 平田駅延光寺観自在寺

 

6時45分に土佐くろしお鉄道平田駅を出発。

7時20分、第39番「延光寺」山門に着く。

お参りの後、国道56号までは1kmちょっとの薄暗い山道だったが、このような道が好きだ。 

国道に合流したところで、若い外国人男性が立ち止まってスマホを見ていた。

その後、ものすごいハイペースで追い越されたのだが、少し先で女性と一緒に歩いている彼に羨望を感じながら抜き返した。

道に迷って立ち止まっていたのではなく、その女性との待ち合わせ場所がわからなかったようだ。

 

数km歩いて宿毛市街に入ると、またまた四万十大橋で出会った台湾人二人組を見かけた。

この後、伊予伊予(ここ笑うとこ)愛媛県突入するのだが、国道または松尾峠のどちらに進むか悩んだ。

まだ9時過ぎで足も痛くなかったので、峠越えを選択した。

松尾峠の入り口までは、ミカン畑のための農道のような道を歩いたが、特に見どころは無くムダなアップダウンに体力を使った。

次回以降は舗装路を通り、遍路道の入口まで直行しようと思った。

松尾峠の手前で休憩中のお遍路さんに挨拶し、少しお話をした。

近畿地方から来られた方で、歩き遍路は6~7回目らしく「巡拝先達」と書かれた輪袈裟と名札を付けた大ベテランだった。

初心者で年下の小生に対しても丁寧な言葉遣いで、これからお接待として遍路道の草刈りをされるため、剪定はさみを持参されていた。

その後、横峰寺でも再会して挨拶したが、この方のような遍路であり、人間でありたいと思った。

遍路道は未舗装の砂利道だが、かなり上まで車で行くことができ、ダラダラとした登り坂が続く。

この日は小型の重機による道路整備と、丸太と石で砂防堰堤のようなものをつくる工事が行われていた。

その上は傾斜がきつくなったが、松並木の跡や

石畳など昔の名残があり、国道(トンネル)を通らずこの道を選んでよかったと思った。

小学生が書いた多くの看板に励まされ、11時過ぎに峠に着いた。

峠の看板には、「昭和初期まで茶屋があり駄菓子やだんご、わらじ等が売られていた」と書いてある。

苦しい上り坂の後は、ご褒美として眼下に宿毛湾の絶景が広がる。

現在の「松尾大師」は車でも行くことができる低い場所に移築されているが、大師堂の跡はこの峠にある。

看板によれば、江戸時代には1日に200~300人が通ったそうだ。

愛媛県側の遍路道は、事前の情報通り高知県側に比してよく整備されており歩きやすかった。

愛南町に入り、車やバイクで走った覚えがある国道56号線を歩く。

今回の遍路中、好天続きで記録的な少雨であり、町の中心部を流れる僧都川は干上がっていた。

宿毛駅まで帰るバスの時刻を調べ、

14時18分に第40番「観自在寺」山門に到着。

参拝後、バスで宿毛駅土佐くろしお鉄道平田駅まで戻り、車で「道の駅すくも」に移動した。

 

(本日の一言)

歩き遍路では履物が極めて重要である。舗装路が80%以上のため、私は主に中敷きのクッション性が高いムーンスター社のウォーキングシューズで歩いた。

私と同年代の人なら、小学校や中学校の上履きは「月星」が多かったと思う。多くの人は何回も肉刺(マメ)のケアが必要だが、幸い一度もできなかった。

一方、10本ある指の7本に血豆ができた。下り坂ではつま先に力がかかるためで、足がシューズの中で動いてしまい先端部と強く衝突するためだ。

そこで次回に備え、足首が固定できるため、つま先にストレスがかかりにくいトレッキングシューズを購入した。蒸れやすくなり、肉刺ができる可能性は高くなるが、特に山道や下り坂では活躍してくれるはずだ。

 

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