11月に入院して舌がんの手術を受ける前に、全身麻酔の可否判断に必要な検査のため通院した。
検査の後、麻酔科の医師からは麻酔、口腔外科の主治医から手術について説明を受けた。
舌の2割ほどを切除するので、先端部の右側や裏側が欠けたような形になるそうだ。
がんのステージや大きさから、5年生存率は75~80%程度と推測される。
一軍~二軍を行ったり来たりするレベルのプロ野球選手が、時々ヒットを打つような確率で5年以内にお迎えが来ることだろう。
10月初旬に撮ったCTの画像には、転移が疑われる部分はなかったようだ。今回の患部も写っていなかったようなので、細胞レベルを含め既に転移している可能性は排除できない。
日本人男性の「平均健康寿命」は約72歳、鳥取県は約73歳である。この数値通りであれば、もうすぐ69歳になる小生の「健康寿命」は4年ほどしか残ってない。
あくまでも平均なので「人それぞれ」である。幼いころから病気やケガのため支援が必要な人がいれば、百歳でも独力で生活できる人もいるだろう。通常このような数値は正規分布しているか、それに近いことが多い。
支援なしでも生活できる「健康寿命」の人が、千人に一人程度の割合になるのは93歳程度と仮定する。その場合の標準偏差σは、(93―72)÷3=7になる。
「平均健康寿命±1σ」は65~79歳となり、全男性の約2/3は80歳までに「健康寿命」が尽きてしまう。同様に、「平均健康寿命±2σ」は58~86歳で約19/20、「平均健康寿命±3σ」は51~93歳で約997/1000がこの間に「健康寿命」が尽きると推測される。
日本人男性の「平均寿命」は約81歳であり、「平均健康寿命」の約72歳と約9年もの差がある。つまり死ぬ前の約9年間は「不健康寿命」であり、何らかの支援や介護などが必要なのだ。
皆様方にはぜひ寿命を全うしていただきたいのだが、小生はできれば「寿命≒健康寿命」でありたいと考えている。がんは余命が推測しやすいので、そのためには理想的な病気である。末期には介護が必要になっても、期間はそれほど長くない。
先日、NHKのニュースに芸人のワッキーさんが出演?されていた。氏は小生より後で中咽頭がんになって同じような治療を受け、これまた同じような後遺症を体験されている。
放射線治療の後遺症で唾液腺の機能が低下し、唾液があまり出なくなる。ワッキーさんはセリフを言う際に口の中が乾き、水を飲みながら舞台に上がっているそうだ。
小生はセミナーの際に何時間も連続して話すが、それほど水を飲む必要はない。しかし、頻尿のため夜間に目が覚めると、舌をはじめ口腔内がカピカピに乾いている。恐らく口を開けて寝ているのだろう。
主治医は、唾液が出にくいので歯が舌に直接触れ、その刺激でがん化したのではと推察されていた。そう言われてみれば、患部と奥歯の尖った位置がほぼ一致している。
中咽頭がんで化学治療や放射線治療を受けており、切除以外に可能な治療方法は限られている。
今回は寿命をコントロールするのに有効なツールを入手できたので、うまく活用して余生を計画的に生きたいと思っている。
(本日の一言)
今まで何度も書いて来たが、「四苦八苦」の「四苦」である「生老病死」は思い通りにならない。我々人間も必ず老い、病になり、死ぬ年齢に差があるだけだ。
がんと全身麻酔の手術は2回目であり、ベテランではないが初心者でもない。もはや「アラ古希」で最低限は生かされてきたので、それなりの覚悟はできている。
前回は腹腔鏡による手術で傷口が小さかったが、麻酔が切れたらそれなりに痛かった。今度は敏感な舌であり、約20%切除するそうなのでかなり痛むだろう。
小生は変人であり、術後に発声や嚥下機能などがどうなるのか楽しみだ。例えお迎えが来ても浄土や地獄などはないことを確認できるはずで、未体験のことは興味深い。
またやーさい。
最初は国宝の「瑞巌寺(ずいがんじ)」である。
参道には西國33か寺のお地蔵さんがあり、日本縦断の際に近くを通った「松尾寺(まつおのでら)」のものもあった。
内部は撮影禁止なので、本堂と庭や
内部非公開の大書院と庭をパシャリ。
直ぐ近くにある「円通院(えんつういん)」を見学。
これは松島湾内に実在する七福神の島を仏の庭に表した「七福神庭園」である。
これが国指定重要文化財の「三慧殿(さんけいでん)」で、中に宮殿型の厨子があり、白馬に跨がる光宗公の像が祀られている。
こちらは約700年前の洞窟群の一つである。
「菓匠 三全」で「萩の月」と「ずんだ餅」を最小数量だけ購入する。
お隣の「阿部蒲鉾店」では
「笹かまぼこ」(¥400-)を買い、ご覧のように焼いていただく。
松島を出発したバスは、羽田空港に向かって東北道を南下する。
ついつい食べ過ぎることが多いのだが、昼食が食べられなくなるのでこの程度に抑えた。
国の重要文化財である「岩手銀行旧本店本館」を、車窓からパシャリ。
国道46号線を秋田方面の西進し、やはり車窓から「岩手山」(標高2,038m)を望む。
武家屋敷通りを散策する。
あえて有料の「河原田家」を見学した。
複数の部屋があったが、これは「ザシキ」と呼ばれる来客用のものだ。
こちらは、縁側から見た庭の写真である。
稲庭うどんの「佐藤養助 角館店」がある。
この店は江戸末期の万延元年(1860年)の創業で、宗家は稲庭うどんの原型の技術を受け継いだ「稲庭吉左ェ門」とのことだ。
販売スペースの奥に座敷があり、表彰状や書の額が展示されている。
「田沢湖」に移動し、
レストハウスで稲庭うどんの昼食をいただく。
「秋田駒ケ岳」を眺めながら盛岡まで戻り、東北道を南下する。
平泉の「中尊寺」に到着した。
「讃衡蔵(さんこうぞう)」の出口にあった、記念撮影用のセットをご覧あれ。
その後「本堂」に行って写真撮影し、
「月見坂」を下って駐車場まで戻った。
「厳美渓(げんびけい)」に寄って記念撮影し、
「大江戸温泉物語鳴子温泉 ますや」に着いた。
チラシに夕食は「鮮度抜群!!大江戸三つ星バイキング」と書かれていたので、楽しみにしていた。
朝食は左側が「カレー鍋」、右側は「豚の生姜焼き」。
宿の外観を撮影してから、
バスに乗り込み指定された席に座る。
これは「大日堂」で、その右奥には
周囲の洞窟内には三十六童子が祀られ、それらを巡ることができる。
こちらは明治時代に建立された「本堂」で、ツアーの添乗員さんがお参りされていた。
バスは眼下に福島市街を眺めながら「磐梯吾妻スカイライン」を走る。
「浄土平」に着き、正面は噴煙が上がる「一切経山」(標高1,949m)。
レストハウス周辺には、荒々しい山々が見られる。
高村光太郎の妻である智恵子が愛したという「安達太良山」を左に見て、裏磐梯へと向かう。
九十九折りのスカイラインから、磐梯山が見えて来た。
「磐梯山」の俯瞰図はこの通りで、周囲の湖や池は噴火によってできたカルデラ湖のようだ。
「五色沼」に着いた。
この沼には主である「五色沼♡ハート鯉」がおり、運よく実物も見ることができた。
「桧原湖」に移動し、
昼食の「わっぱ飯」をいただいた。
炊き込みご飯の上に鶏肉などが置かれ、固形燃料を燃やして蒸気で温める仕組みだ。
「大谷翔平」や「菊池雄星」というメジャーリーガーを輩出した「花巻東高校」がある。
これではなく、手形のある隣のモニュメントで記念撮影してもらった。
将来のメジャーリーガー達が試合形式の練習をしていた。
夕食はホテル近くの居酒屋。
第2ターミナルの集合場所で待機する。
10時頃に第1ターミナルからバスが着き、JALで上京した皆さんと合流して
都内を走り埼玉県に向かう。
昼前に「小江戸 川越」に到着し、
「時の鐘」の前からは自由行動。
「りそなコエドテラス」に入り、
「蔵造りの町並み」を歩いて
通りかかった「大黒屋食堂」で
焼き鮭の定食と生中の昼食をいただく。
「八咫烏(やたがらす)」に導かれ
「川越熊野神社」にお参り。
何度も休憩し血圧が回復してから、何とかバスまで戻った。
「穴原温泉 湯めし旬樹庵 いづみや」に到着。
夕食は左側が「すき焼き」、右側は「豚の角煮」。
朝食は定番の“NTKG”(納豆たまごかけご飯)である。
昼食兼夕食は「たまご炒飯」をつくることが多い。
野菜炒め(ピンボケだが約400g)を肴に主食の焼酎を飲んでいる。
国産の新米でも2千円台で販売されているので、わざわざ高い令和7年産を買う必要はない。
11月中旬に手術していただくことになり、12月上旬に退院できたとしても年末・年始頃までは度々通院が必要だろう。普通タイヤしか持っていないため雪が降ると移動できず、沖縄滞在が困難になってしまったことの方が残念なのだ。