車中泊の歩き旅

60代自由業。お金はなくても、時間と体力がある今こそ青春。

四国遍路7日目(平等寺→薬王寺→JR山河内駅)

’23年10月7日(土)・7日目 約28Km、41,233歩

平等寺薬王寺→JR山河内駅

 

朝7時頃に平等寺を出発し、太平洋に向かって南下します。次の薬王寺まで18kmの場所に、遍路小屋があります。

阿南市の県道284号線から国道55号線に入る手前で、軽トラのご老人に初めてのお接待として飴をいただきました。ありがたく頂戴し、「納札」も忘れず手渡しました。この原稿を読み直したとき、初めて私も老人だということに気づきました(遅)。

そのまま国道を進んだ方が近道ですが、海岸沿いを行くルートの雰囲気がよさそうなので、「貝谷峠」越えの道を選びました。

山寺の参道とは異なり傾斜も緩やかで、この道を選んで正解でした。

竹林の中を進みます。

峠の頂上付近には展望台があり、由岐漁港が見えました。この日の天気はイマイチでしたが、四国の太平洋側は南に海があり逆光になることが多いため、きれいな海の写真が撮りにくいです。それは単なる言い訳で、写真撮影や修正の技術が低いだけとも言えます。

この展望台にはブランコも設置されており、童心に帰り数十年ぶりに漕いでみました。

遍路道は地元の皆さんによく整備していただいていますが、倒木の処理までは困難で、写真のように道をふさいでいることも少なくありません。

竹と雑木の林を抜けると、田井ノ浜に出ます。

簡単そうに書いていますが、実は日和佐道路の由岐IC付近でウロウロ迷いました。

ここには海水浴シーズンだけ列車が止まる「田井ノ浜駅」があります。

また、野宿もできそうな二階建ての遍路小屋がありました。

木岐集落を過ぎると、海沿いの遍路道の入口に行き当たります。

潮騒が聞こえるほど海に近い旧遍路道は数少なく、路肩には年度別の入選作を記した句碑があります。ここも歩いてよかった道の一つで、次回も必ず来ます。

焼山寺 越えてまた湧く わが命」。齢を重ねるたびに、焼山寺越えができた喜びでまた命が湧き起こる気持ちは、歩いた人にしか理解できないと思います。(「歌心」がないため、解釈が誤っていたらお詫びします)

県道25号線の舗装路に入ると、山座峠を越えて恵比須浜へ降りる前にある休憩所で一休みしました。

恵比須浜へ降りた後は、きれいな海岸を見たいため県道を歩きましたが、次回は小田坂峠を越える予定です。

半年前に行った「えびす洞」がある岬から、うみがめの産卵地として有名な美しい大浜海岸を望みます。

日和佐の街中に入り、秋祭りの神輿行列に遭遇しました。

古くて田舎らしい町並みの奥には、特徴がある薬王寺の「瑜祇塔」(ゆぎとう)が見えます。

12時半、第23番「薬王寺」山門に着きました。

次の最御崎寺までは76Kmも離れており、時間もあるためさらに先に進みます。

できれば小松大師近くのJR辺川駅まで行きたかったのですが、徳島方面に戻る列車の便数があまりありません。

やむを得ず約5Km先の山河内駅で諦め、JRで新野駅へ移動してスタート地点の平等寺まで歩いて戻りました。

 

(今日の一言)

お寺に着くと、本堂と大師堂でそれぞれ読経します。その中には「般若心経」があり、お釈迦様が一番弟子の舎利弗(シャーリプトラ)に「空」(くう)を説く場面がでてきます。

専門分野である経営に関与している十数年前、「般若心経」の存在を知りました。その意味を学んだのはもちろんですが、CDを購入して読経の仕方を覚え、写経もしました。

そのおかげでしょうか。5年前、初診の際にいきなり医師からがんを宣告されても全く動揺しなかったため、直後に入院について説明をする看護師さんが驚いていました。

後遺症はもう治りませんが、寛解となり定期的な経過観察からは解放されました。次にがんに罹患するか再発した際は、その時の年齢や病状により、手術や治療の程度を判断するつもりです。がんは余命がかなり正確に読めるので、半ば計画的にあの世に行くことができる、私にとっては理想的な病なのです。

 

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